ウクライナとロシアと日本の

少年たちが力をあわせて、

なにかをなしとげる物語 

 

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。

(1)

世界地図を見てみましょう。日本の北西に、海をへだててロシアという世界一の大きな領土をほこる国があり、その西に長い国境をともにするウクライナがあります。

ウクライナと日本の距離はおよそ6000キロ。日本の北海道から沖縄までが約2000キロですから、いかにはなれているかがわかります。ですからあまり知られていませんが、日本の1.6倍ほどの面積で豊かな黒土と地平線まで広がる草原におおわれ、小麦やひまわり、じゃがいもを生産し〝ヨーロッパのパン籠〟とよばれる農作物の輸出国です。

ウクライナの首都キーウ(戦争前はロシア語でキエフと書かれていました)は古くて新しいユニークな都市です。聖ソフィア大聖堂やペチェルスカヤ修道院など白い殿堂が緑の木々にかこまれ、クラシックバレエや音楽がさかんな古い都であると同時に、インターネットやコンピュターを使ったIT(情報通信)が中心の新しい都でもあるからです。

このキーウの北に11歳のソーニャが住んでいます。茶色の髪をおさげにして、はしっこく、青いひとみが強い力をはなつ少女です。算数はちょっと苦手ですが、音楽と体育が得意なおてんばさんです。お父さんは農機具販売の仕事、お母さんは図書館の司書で6階建ての集合住宅に住み、しあわせな毎日をすごしていました。しかしそれも、2022224日までのことでした。突如、国の北、東、南の国境から何万というロシアの軍隊がウクライナになだれこみ、ところかまわず、大砲やドローン(無人機)、ミサイル(誘導弾道弾)で攻撃を行ってきたのです。 学校、病院、スーパー、公園そして住宅などがこわされ、美しかったウクライナの緑の街は、白と黒のまだらで異形な世界へと変身させられてしまいました。

どう考えても、いじわるな悪魔のしわざとしかソーニャには思えません。今日も、ウーウーと空襲警報が不安をかきたてるようになりひびきます。「ソーニャ、早く」とお母さんが貴重品と1メートルもあるウクライナの民族楽器バンドゥーラをかかえて地下室に避難します。暗く、ほこりっぽい部屋に、十数人の人々が息をひそめてよりそっています。子どもをしっかりとかかえた母親、たがいにかばいあう老夫婦、けんめいに恐怖にたえている少年や少女、皆、不安な顔をしています。爆発の音はきこえませんが、それでも地面をつたわって振動がひびきます。 突然、電気が通じなくなり、真っ暗になることもしばしばです。 

おびえている人々を見ながら、ソーニャはイスにすわったまま、バンドゥーラをひきはじめます。竪琴から、チェンバロと日本の琵琶(びわ)をあわせたような、穏やかで心地よい音が流れだします。 

 

――Ти казала в понедiлок Пiдем разом по барвiнок 

      Я прийшовтебе нема,

      Пiдманула, пiдвела♪

    (君は月曜日に、いっしょに花をつもうと言った。はりきってその場所に行ったけれど君はいなかった。

      すっぽかされ、ぼくはめちゃくちゃにおちこんだ)

 ――Ти ж мене пiдманула,

      Ти ж мене пiдвела,

      Ти ж мене молодого 

       Зума-розуму  звела♪

   (僕をだましたんだね、ガックリ、君は、若いぼくらを、いいように振りまわす)

   (ウクライナ民謡、『ピドマヌラ、ピドベラ』)

 

若い女性に振りまわされる、若い男の気持ちをユーモラスにつづったウクライナ中で愛されるあかるい曲だ。バンドゥーラの底を両足ではさみ、左手を肩の高さにあげて低音を、右手をお腹において高音を、60本の弦(げん)をはじく。するとよごれた空気を一変させるように、さわやかであたたかい風が地下室に流れだしました。

外はまだ零下の寒い冬ですが、初夏のライラックの花のさわやかな香りがただよってくるようです。 

(そうよ、あなたのバンドゥーラにはみんなをなごませる力がある)とお母さんがソーニャにうなずきました。しかし残念ながら、バンドゥーラに砲撃をやめさせる力があるわけではありません。平和へのいのりをどろ靴でふみにじるように、ロシアの爆撃は続き、やがてミサイルやドローンが、発電所や変電所をねらうようになってきました。電源と送電設備をめちゃくちゃにされ、一日になんども電力制限をせざるをえなくなってきました。電気がこなければ、テレビも冷蔵庫も使えなくなります。夜、「おやすみ」と言ってベッドにはいっても、眠っているあいだに爆撃をうけるかもしれません。 ガラスが降りそそがないよう廊下に横たわり、翌朝、無事に目がさめることを願う日々です。ロシアが攻めこんできてから数日立つと「国とお前たちを守るために」とソーニャのお父さんは軍に志願して、銃を手に前線へでて行きました。ソーニャとお母さんは町に残りましたが、爆撃はひどくなるばかりです。我慢をかさねましたが限界がきました。

「これ以上、ここにはいられない。あなたを守らなければ」とお母さんは決心しました。 

  身のまわりのものをキャリーバッグに入れ、肩にバンドゥーラをせおい、ソーニャの手をにぎって国をはなれました。あちらにも、こちらにも家をはなれたウクライナの避難民(ひなんみん)がいます。この人々にまじり、二人は国の境をこえ、西どなりのポーランドにはいりました。 行くあてのない、長い長い旅のはじまりです。

2)

4月、ソーニャとお母さんは、ポーランドから、見たこともない遠いアジアの島国である日本へとたどりつきます。

二人はボランティアグループのおかげで、東北の福島県の小さな町に住むことができました。落ちつき先の集合住宅の5階の部屋からは、かなたに青い山なみ、まわりには満開の桜の木々があちこちに散らばっています。

「なんだか私の国とちがう。小麦やひまわりの畑がない」とソーニャがつぶやきました。

「いいところじゃない。桜のピンクが平和を思わせる」とお母さんがしずけさをかみしめます。

 やがてソーニャは日本の小学校に入りました。町のはずれにある運動場がとてつもなく広い学校です。担任の大野よしこ先生はまじめそうな女の先生です。

先生はソーニャをクラスのみんなに紹介しました。

「ソーニャさんは、戦争があって遠いウクライナからこられました。なかよくしてね」

休み時間になると、みんながソーニャのそばにきて質問ぜめです。

「ウクライナってどこ?」「戦争ってこわい?」「勉強はたいへん?」

でも、なにを聞かれても、日本語がわかりません。ソーニャはだまってほほえむばかりです。心配した先生が、「みんなが持っているタブレットに自動翻訳(じどうほんやく)のアプリをいれたらどうかしら」と提案してくれました。それで「はじめまして」「こんにちは」「家族はなん人?」などの簡単な会話はできるようになりました。しかし、よかったのはそこまでです。

 授業がはじまると、中身がまるでわからないのです。体育や音楽、図工などはまわりを見て、それなりにわかるのですが、国語、算数、理科、社会となると、アプリの翻訳が授業の速さについて行けないのです。言葉がわからないということは、くらがりで杖なしで歩いているようなものです。なにがどこにかくれているかがわからず、つまずいたり穴におちたりと、いつもびくびくしていなければなりません。

ウクライナなら友達と話したり遊んだりして、ストレスを発散できますが、ここではそれもできません。教室の中でひとりぽっちになり、ソーニャの心の糸はプッツリと切れてしまいました。「助けて」と声をあげて教室をとびだしたくなります。目の輝きはうしなわれ、うつろな表情がソーニャをおおいます。気分は最悪ではいてしまいそうです。

見かねた大野先生が「保健室で日本語の勉強をしましょうね」と気づかってくれました。

 保健室の田中先生は、ふっくらとした感じのおばさん先生です。

にこやかに、「ほかの国の言葉がわからないことは、ちっともはずかしいことじゃない。日本語はむずかしいの。最初は、単語をならべるだけでいいから、ゆっくりと勉強しましょうね」と肩に手をあてて、はげましてくれました。 

 なんだかほっとしました。

 こうしてソーニャは保健室にいることが多くなりました。するとそこによくくる、同じクラスの男の子がいることに気がつきました。まる顔の、なんだか、とてもおちつかない感じの子です。

「あの子、なんで、ここくる?」と先生にたずねました。

「じゅんくんね。自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群、ADHD)という心の病気があって、まわりの人とうまくコミュニケーションがとれなかったりするの」

じゅんくんは〝おさわがせやさん〟です。遅刻はするし、わすれ物も多い。ものをなくすこともしょっちゅうです。教室に入るや、さがしものをはじめ、「ない、ない」とランドセルの中身をひっくり返して「やばい、やばい」と大さわぎ。授業中でも、机の上につっぷしたり、とつぜん立ちあがって教室を歩きまわったりします。字を書いてもノートの升目(ますめ)を大きくはみ出します。

「だから、ここで気持ちをおちつけてもらっているの」と田中先生が、じゅんくんのことを説明しました。

(フーン、へんな子!)とソーニャは思いました。

「でも、アスペルガーの子は集中すると、すごい力を発揮することがあるの。電灯や電話など1300もの発明をしたトーマス・エジソンもADHDだったの。環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんを知っている?」と先生が聞きます。

エジソンは知っていますが、グレタは知りません。

「グレタさんは自閉症スペクトラムだったの。でも温暖化で地球がほろぶかもしれないと危機感をもち、そのことを徹底的に勉強したの。 15歳のときに学校を休んで国会前で抗議の座りこみを一人で決行したの」

グレタは自分の障害を、ものごとに集中できる〝スーパーパワーの源〟と呼び、じゅんくんも、曲を一回、聞いただけで歌うことができると先生は付けくわえました。

 音楽が大好きなソーニャは「へえー」とひきつけられ、すぐに「なにか歌って」とじゅんくんにたのみました。ところが「おまえみたいなガイジンに聞かせたくない、聞かせたくない」とけんもほろろです。でも断られれば、断られるほど聞きたくなります。ソーニャは一計を案じました。次の日、保健室にバンドゥーラを持ちこみ「ウクライナの子もり歌、うたう」とじゅんくんにつげました。見たこともない楽器、聞いたこともない外国の曲にじゅんくんは目をまるくしています。

 ソーニャはバンドゥーラをひきウクライナ語で歌います。

 

――Ой ходить сон, коло вікон. А дрімота коло плота♪

 

内容はわかりませんが、せつない曲調とソーニャのかわいい声が心にしみいります。しんけんな顔つきでじゅんくんは曲に耳をかたむけはじめました。曲がおわると「ブラボー、ブラボー」と手をたたいてほめました。それだけではありません。「ぼく、日本語で歌ってみたい!」と言いだしたのです。

かたわらできいていた田中先生が、「日本語にしてみよう」と提案しました。こうして先生とソーニャとじゅんくんの日本語への翻訳作業がはじまりました。しかし、言うのはかんたんでも、やってみるとむずかしい。ソーニャがウクライナ語の単語や文を翻訳機に入れるのですが、発音が少しでもちがっているとうまくいきません。

「ヤダ、できない!」とソーニャがなんども声をあげます。

そのたびに、先生が「短気(たんき)は損気(そんき)!!」となだめます。言葉の意味がわからず、ソーニャがきょとんとしていると、じゅんくんが「怒る、ダメダメ」とソーニャをなだめます。なんとかがんばって日本語の単語をならべました。それを先生がつないで文にします。うまくつながる場合もありますが、つながらない場合もあります。なんども失敗をくりかえし、やっと日本語バージョンができあがりました。今度はじゅんくんの番です。日本語がメロディとうまくあうかどうかを歌いながらたしかめます。文章が長すぎても短すぎてもよくありません。ぴったりあてはまらない場合は、田中先生が別の言葉にかえます。こうして一ケ月後にようやく、ウクライナの子守歌の日本語の歌詞ができあがりました。じゅんくんが歌います。 

 

――夢は窓からしのびこみ   

  ねむりはフェンスを乗りこえる

   夢とねむりは語りあう   ぼくらは今夜どこですごそうか? 

部屋はあたたかく子どもはちいさい 

 どこに行ってもねむくなる。ぼくらは子どもに歌いかける  

 ねむれねむれ 私のちいさなハヤブサ  ねむれねむれ 私のちいさなハト♪

(ウクライナの子守唄  ゆめは窓辺をすぎて)

 

ソプラノ歌手のようなすきとおった高音が、あたりにひびきます。音程もしっかりとしており、ソーニャのバンドゥーラと自然にとけあっています。歌いおわると「すごい!やったね。先生、びっくりしちゃった」と田中先生が絶賛しました。おもいがけないほめ言葉に、二人はてれくさそうに顔を見あわせます。

 ソーニャとじゅんくんは大のなかよしになりました。保健室にバンドゥーラをもちこんで、ウクライナと日本の歌をつぎつぎに歌います。のどがからからです。でもおかげでソーニャの日本語は、ぐんぐんうまくなりました。

 子守歌の完成から二カ月後、自信をとりもどした二人はクラスにもどりました。しかし歓迎されたのはソーニャだけでした。クラスのリーダー格の女の子、れい子ちゃんがソーニャの席に近よってきました。

「グループに入らない? うちらは遊びも勉強もいつもいっしょなの」

なかよしになるのはいいことです。ソーニャは「はい」と答えました。れい子ちゃんの言うように、グループの女の子はみんな親切でした。わすれものをしたときでも「これを使って」とかしてくれました。帰るときも、もちろんいっしょ。わからないところがあれば、ていねいにおしえてくれます。おかげで授業がたのしくなりました。こうして(日本の学校もわるくない)とソーニャは思うようになりました。

しかし、じゅんくんの場合はそうはいきません。あいかわらず、まわりの人のことを考えずに大さわぎしたり、授業中に歩きまわったりと、かってな行動をとるからです。みんなは、(また、はじまった)とあきれ顔です。そして〝無視(むし)する〟ことにしました。ところがじゅんくんは「平気の平左」(へいきのへいざ)です。自分ひとりの世界にはいりこんで、授業中でも机につっぷしたり、歌をうたいだしたりとやりたい放題です。たまりかねたれい子ちゃんが「こりないヤツにはお仕置きだ」と宣言しました。

以前より、じゅんくんへのいじめがひどくなりました。お昼の給食の時間には、じゅんくんには、おかずをちょっぴりしかつぎません。「もっと」と要求すると今度は食べきれないぐらいの量をつぎます。

体育のドッチボールのときには、先生が見ていないすきに「死ね!」と叫んでボールをじゅんくんになんどもぶつけます。じゅんくんはフラフラしています。

ソーニャはじゅんくんがかわいそうになりました。「やめて!」とさけびましたが、れい子ちゃんは「やめるな!」と声をあらげます。ボールぶつけはどんどんはげしくなり、ついにボールをよけそこね、じゅんくんは倒れました。それでも許さず、さらに球をぶつけます。見かねて、ソーニャはじゅんくんの前に立ってボールを受けとめました。するとれい子ちゃんが、眉をつりあげ「じゃまするヤツもゆるすな!」と命じます。あちこちからボールが飛んできて、ソーニャも倒れました。ひざから血が出ています。体育の村上先生が、あわてて笛をふき、ドッチボールはおわりました。次の日から、じゅんくんは学校を休むようになりました。

「いじめはよくない、やめて」とソーニャは、れい子ちゃんにいいましたが「フン、あんたはスペじゅんのみかたか」と受けいれません。それどころか「無視」はその日から、ソーニャにも広がったのです。だれも近よりませんし、話しかけてもきません。友達ははなれてゆき、ソーニャはふたたび、ひとりぼっちになってしまいました。ですがソーニャは学校を一日も休みませんでした。

 ウクライナの学校が爆撃され、生徒がけがをしたり、おびえたりしているのを思えば、どんなことも我慢できるからです。 

 

マルベリー〈桑の実)
マルベリー〈桑の実)

3)

  7月になり、夏休みが近づいてきました。 学期の終わりにはクラスごとに、お楽しみ会をおこなうことになっています。 ソーニャのクラスでも先生が、「グループごとにだしものを考え、競争しましょう。優勝したグループには、私からごほうびをだします」と発表すると歓声があがりました。

好きな人どうしでグループが作られました。 でも、れい子ちゃんの〝無視〟指令がいき渡っているせいでしょう、ソーニャは、どのグループからもさそわれません。

「どうする?」と先生が心配してくれましたが、「だいじょうぶ。 わたし、じゅんくんといっしょに、なにかやる」とソーニャはきっぱりと答えました。学校から家に帰ったソーニャはバンドゥーラをかかえてじゅんくんの家をたずねます。お父さんは公務員、お母さんはコンピュータ・グラフィック会社で働いており、昼間はじゅんくんだけです

「こんにちは」とあいさつしましたが、返事がありません。 そこで、ソーニャはバンドゥーラを取りだして、学校の音楽の時間にならった『さくら さくら』の曲をひきはじめました。おおらかな音が家の中へとすべりこみます。

 二階の窓があいて「なにか用?」とじゅんくんが顔をだしました。

「お願いがあるの。家にいれてくれる?」 とソーニャが声をはりあげます。やっと、じゅんくんが家にいれてくれました。

「お願いってなに?」と疑うような声で、じゅんくんがソーニャにたずねます。

「今度、クラスでお楽しみ会をやることになったの」

「興味ない、興味ない」とじゅんくんがさえぎるように言います。

「じゅんくん、お楽しみ会で、歌をうたいたくない? 大きな声で、私といっしょに」

「なんの歌、ウクライナの子守歌?」とじゅんくんがすこし興味を示しました。

「ちがう歌。今度は『コサックはドナウをこえて』という元気な曲」

「コサックって?」

「昔、ロシアやポーランド王国で奴隷(どれい)のように、こき使われた人々が国の境をこえ、ウクライナに逃げだしたの。草原に自分たちの村をつくりコサックと名のった。 コサックは自分たちをおびやかす敵とたたかうために、男は全員、馬に乗り、銃や弓、槍や剣などをもった〝自由の民〟なの」

「フーン、かっこいいじゃん」

「でもね、狩や牧畜でくらしていくのはたいへんで、男はやとわれ兵になって、ドイツから黒海に注ぐドナウ川をこえてヨーロッパのほうまで戦争に行ったの」

「だから、ドナウをこえてというんだ。すごいね、歌ってみて」

「元の歌はウクライナ語だけれど、お母さんが日本語にしてくれた」

そう言って、ソーニャが曲にあわせて、さっそうと歌いはじめます。

 

――コサックはドナウ川を越える 「愛する人よ、さようなら!」と恋人に告げて 

  黒毛の馬よ、オレをのせて、どこまでも駆けろ♪

――待って待って、コサック」あなたの恋人は泣いています.  

どうして、私をおいて、行くことができるのでしょう♪

――行かなければよかったのだろうか  愛さなければよかったのだろうか   知りあわなければよかったのだろうか

  (ウクライナ古謡)

 

 たたかいにでかけるコサック兵とそれを見おくる恋人の気持ちがゆきかう歌です。

歌いおわると、じゅんくんが感心していいます。

「ちょっとおとなの歌だけど、かっこいい。 でも、ソーニャが自分でうたえばいいじゃん」

「それじゃだめなの。じゅんくんが、この歌をうたわないと」

「どうして?」

「ウクライナ人の私が『さくらさくら』をうたい、じゅんくんがコサックの歌をうたうのを見せたいの」

 ソーニャの意図がじゅんくんにはよくわかりません。でも、コサックの勇敢さがとても気に入りました。

「やってみる、やってみる」と承知しました。

 それからは毎日、ソーニャの家かじゅんくんの家で練習です。 ソーニャが学校から帰ってからはじめるので、練習が終わるのは夕方か夜になってしまいます。 ある晩、ソーニャの家では、お母さんが夕食にボルシチをつくってくれました。 血のように真っ赤なスープです。 こわごわとひと口食べてみました。

煮こんだお肉がやわらかく、しっかりと味がついています。

 「うまっ!」とおどろき、「おいしいはウクライナ語でなんというの?」 とソーニャに聞きました。 そして教わったとおり、「スマーチニー!」と大声をだしておかわりをしました。  

定番料理ボルシチ

 

 

ビーツはアカザ科の植物


一方、じゅんくんのお母さんはウクライナの民族衣装をふたりにつくってくれました。 真っ白なシャツに、赤、緑、青色などの刺繍(ししゅう)があります。

 「コサックの人々はこれを着てダンスをおどるの」とソーニャが衣装を身につけながら楽しげに言います。

「どんな?」とじゅんくんが聞くと、ソーニャがスマホでコサック・ダンスをおどるようすを見せてくれました。かかとをあげたままで、しゃがみこみます。 日本のうさぎとびのポーズです。 腕ぐみした手を目の高さまであげ、しゃがんだままで足を互いちがいにだします。 こんなおどりは、はじめてです。

「このワザ、やりたい、やりたい!」とじゅんくんが目をかがやかせました。

「むずかしいよ」とソーニャが心配しますが、じゅんくんはやる気まんまんです。 でも足をけり出すと、バランスをうしない、うしろへひっくり返ってしまいます。 30回ほど失敗し、お母さんが「あきらめたら」といいますが、じゅんくんは「あきらめない。体育の村上先生におしえてもらう」と引きさがりません。

 村上先生は足と腕の筋肉がもりもりしていて、いかつい顔で生徒に号令(ごうれい)をかけるので、こわがられている先生です。

「学校に行くの?」とお母さんが心配そうに言います。

「だいじょうぶ。れい子ちゃんたちにあわないように、放課後に行く」

「私から村上先生におねがいしておく」とソーニャがうなずきます。

次の日の放課後、じゅんくんは裏門から学校へはいりました。

 「こっち」と待っていたソーニャが案内します。ところが、れい子ちゃんたちに見つかってしまいました。

「スペじゅん!なにしにきた」とれい子ちゃんがとがめます。

じゅんくんは大あわて、「だって、だって」と、口がうまくまわりません。

ソーニャがとっさに、「村上先生からよばれてるの」といい訳をします。村上先生の名前を聞いてれい子ちゃんたちは出鼻をくじかれました。 あの学校一こわい、村上先生にいじめがばれてはたいへんです。 それで見のがすことにしましたが、こっそり、ふたりのあとをつけていくことにしました。体育館では村上先生が待っており、じゅんくんを見るや「話は聞いた。コサックダンスをやりたいんだって」とにらむようにいいます。

「そ、そうです」とじゅんくん。 先生はじゅんくんを見つめます。

「はっきり言おう。このダンスは足と腰の筋肉が強くなければできない。止めたほうがいい」

しかし、じゅんくんは首を横にふり、先生の忠告を受けいれません。

「どうしてもやりたい、やりたい」とくり返します。

あまりにしつこいので、先生は体操用のマットをもってきて、「この上で、かかとをあげてすわり、ゆっくりでいいから、片足ずつ前へだしてみろ」と指示しました。 じゅんくんは、言われた通りやろうとするのですが、うまくゆかず、うしろへ倒れてしまいます。何回やってもできません。 なさけなくて、じゅんくんは泣きそうです。 扉のかげからのぞいていたれい子ちゃんたちがクスクス笑います。

「ドジなスペじゅん。できっこない。帰ろう」とれい子ちゃんが言い、みんなは「損した」と帰って行きました。

それを片目で見ながら、ソーニャは必死で村上先生に言います。

「ウクライナでは、ちいさな5歳ぐらいの男子でもおどっています。だから11歳のじゅんくんにできないはずがありません。 日本の子は、そんなにだめなのですか!」

ソーニャに抗議され、頭をかきながら先生が練習法を変えます。

「じゃあ、少しずつやってみようか。最初は手をついてもいいから、かかとをあげてしゃがんで、バランスをとりながら背筋をのばした姿勢をできるだけ長くたもってみよう」

 長い時間しゃがんでいるのは、たいへんです。 でも、じゅんくんは顔を真っ赤にして続けます。

「次は、手を床についたままで、足だけ交互にだしてみよう」

 これも時間はかかりましたが、少しできるようになりました。

「今日はここまで。明日から毎日、ここにこい。なんとか、がんばってみよう」

 はげまされ、翌日から体育館にかよいます。それにしても、じゅんくんの集中力はたいしたものです。なんど失敗してもあきらめません。少しずつ形になってゆきました。

 4

いよいよ、お楽しみ会の日になりました。各グループの発表が進み、おわりから二番目の、れい子ちゃんたちの出番になりました。欅坂46というアイドルグループの『不協和音』という曲をおどります。十人あまりの女子が青っぽい制服姿で、こぶしを突きあげ、髪を振りみだし、周囲と気もちが通じあわない、イライラ感を群舞(ぐんぶ)であらわします。舞台のセンターはれい子ちゃんです。

「ぼくはイヤだ!」と大きな体から鋭いさけび声を発し、舞台に緊張感をうみだします。

おわるとたくさんの拍手がおくられ、「優勝はきまったね」という雰囲気になりました。

最後にソーニャとじゅんくんが舞台にあがります。二人はペコリと頭をさげました。じゅんくんは刺繍がある白いシャツにゆったりしたズボンで腰には剣、大すきなコサックのいで立ちです。ソーニャも色とりどりの花の模様の白い上衣にスカート、かみの毛にはひまわりの花がいっぱいです。ソーニャが服について説明します。

「これはウクライナの民族衣装です。悪魔がはいりこんでくる袖や裾、えり元などに、おまもりがわりにつけます。悪いことから人々をまもり、しあわせをよびます」

 花の刺繍が、ソーニャのかわいらしさをひきたてます。続いてじゅんくんの説明です。

「コサックはまわりの国からせめられないよう、自由に生きるため、自分たちの村をまもるため、槍や刀、銃など、武器の扱いや馬ののり方を小さい時から学びます。ぼくが腰にさげているのは、ウクライナの剣でサーベルといいます」

 じゅんくんがサーベルを抜き、「オーレ!」とかかげました。

ただし紙製なので、ぐにゃりと折れそうで、みんなが笑います。

 ソーニャがほほえみながら、日本にきたときのことを話します。

「私、ウクライナの青い空、ひまわりの花畑、大すき。世界一きれい。でも日本にきて桜見たとき、おどろいた。ひまわりと同じくらい。戦争のない日本大すき。ありがとうの気持ちをこめて、『さくら、さくら』歌います」

 

――さくら さくら 野山も里も 見わたす限り   かすみか雲か 

      朝日ににおう さくら さくら 花ざかり♪     (日本古謡)

 

 やわらかにバンドゥーラの音が流れ、ソーニャのすずやかな声がその上にかさなり、春の宵(よい)のようなのどかさをうみだします。そして、それがおわると、じゅんくんの『コサックはドナウをこえて』がはじまります。

「行かなければよかったのだろうか」「愛さなければよかったのだろうか」――戦場におもむく青年と、それを引きとめようとする娘。二人の気持ちの食いちがいや後悔の思いをじゅんくんが熱唱します。男女の愛といっても、まだまだ実感がわかないのですが、愛するふたりが引きさかれるつらさを思い、みんなは、なんとなくしんみりとしました。

 しかし、そんな空気をふき飛ばすように、じゅんくんが「コサックのダンス!」とさけびます。リズミカルなメロディにのって、じゅんくんのおどりがスタートします。しゃがみこんで、左右の足を交互に前につきだします。時折、体のバランスをくずしそうになりますが、がまんして倒れません。だいじょうぶかとハラハラしますが、溌剌(はつらつ)としたじゅんくんのかけ声はとぎれません。 

熱演に皆が手拍子をあわせます。こうしてじゅんくんは最後までやり通しました。大拍手がおこります。奮闘ぶりに感激したれい子ちゃんが舞台にかけより、「よくやった。まじ、すごい!」と手をさしのべました。じゅんくんは目を白黒させて、れい子ちゃんの手をにぎりました。これもバンドゥーラのなせる奇蹟なのでしょうか。

優勝はじゅんくんとソーニャのチームにきまりました。その翌日、「差別をのりこえ、ウクライナと日本の小学生が、なかよしコサック・ダンス」という見出しで、お楽しみ会の様子が地方新聞にのりました。大野先生が新聞社に投稿し、それがニュースとなったのです。ソーニャとじゅんくんは学校中の人気者になりました。

 5

 ギラギラと太陽が照りつけています。学校は夏休みにはいりました。

あつい日が続きますが、ソーニャは気にしません。天には真っ青な空が広がり、地上には黄色のひまわりが咲きみだれるウクライナの夏そのものだからです。それに楽しみなことがふたつあります。ひとつは思いっきり、時間をかけてバンドゥーラがひけること。もうひとつはウクライナの前線にいるお父さんとスマホでじっくり話ができることです。ソーニャにしてみれば、毎日でも電話したいのですが、お父さんは戦場にいるのでそうもいきません。数週間たたかうと34日間の休暇があります。電話がかかってくるのは、そのときです。

「ソーニャ、元気かい」

「うん、元気。パパは?」

「パパもだいじょうぶ、元気だよ」

 ソーニャはお楽しみ会で、じゅんくんと『コサックはドナウをこえて』を演じたことをはなしました。

「じゅんくんのコサック・ダンス、見たかったな」とお父さんが笑いながら言います。

「うん、戦争がおわったら、じゅんくんたちをウクライナによぼうと思っているんだ」

「いいね。きっと実現させよう」

「ウクライナの畑で、いろんな曲を、歌っておどろうと約束したの」

「いいね。楽しみにしているよ」

 携帯の画面には、グリーンのまだら模様の野戦服をきたお父さんが写っています。ヒゲもずいぶんとのびていますが目はいつものやさしい感じです。こんな会話をかわした夜はぐっすりとよくねむれます。

けれど、しあわせのあとには悲しいことがおこるものです。数週間後、お父さんから突然、電話がはいりました。また休みをとれたのかなと、ソーニャとお母さんは携帯を見つめました。するとどうでしょう、画面に写っているのは、野戦服のお父さんではありません。青白い顔でパジャマをきてベッドに横たわっています。

「どうしたの?」「やられたの!」とお母さんが悲鳴をあげました。

 なにか悪いことが起こったにちがいない。ソーニャの頭のなかは真っ白になりました。

「片方の足をやられた。地雷だ」とお父さんが細い声で答えます。

 ドガァーンと爆発音が聞こえた気がしました。お母さんの口がわなわなとふるえています。松葉杖(まつばつえ)で体をささえている姿が浮かびます。そんなふたりを見て、はげますようにお父さんがいいます。

「命が助かっただけ、ましさ。歩くことはできそう。だいじょうぶ、心配しないで」

どうなぐさめたらいいのでしょう。

「でも、でも」とソーニャは胸がいっぱいです。気を取りなおしたお母さんが、「私たち、ウクライナに帰る。看病したい。すぐに戻る」と提案しました。するとお父さんは、「いいや、戦争はまだまだ続く。ウクライナ全土、どこにもミサイルはおちてくる。ソーニャのために、まだ日本にいたほうがいい」と止めました。悲しくなり、ソーニャの目から大粒の涙がこぼれおちました。

 それからは毎日、ふたりでお父さんに電話です。昼間はソーニャ、夜は仕事をおえたお母さんの番です。

話すことがなくなると、バンドゥーラをひいてなぐさめます。

「ずいぶん上達したな、ソーニャのバンドゥーラを聞いていると、ぐんぐんよくなるような気がする」

「うん、早くなおるといいね」

「バンドゥーラのおかげかな。先生がリハビリをはじめましょうといってくれた。明日から歩く練習をはじめるよ」

 ちょっぴりだけど、いいニュースです。こうしてお父さんの足は少しずつよくなっていきました。けれども一難去ってまた一難。今度はお母さんの具合がよくありません。お父さんが足を失ったショックでしょうか、明るくやさしかったお母さんが「戦争はいつまでつづくの!」とふさぎこみ、仕事も休み、とじこもることが多くなってきたのです。

かわりにソーニャが、そうじや食事のしたくをしなければなりません。

 夏休みも残り少なくなった8月下旬、家のチャイムがなりました。ソーニャがドアをあけると、担任の大野先生と見知らぬ女性が立っています。大野先生が、「お母さんいる?」と聞きます。お母さんが出てくると、「お話があるので、おじゃましてよろしいでしょうか」と先生がつげます。4人は机をはさんでむかいあいました。

先生がやや緊張した声で、女性をソーニャとお母さんに紹介します。

「こちらはロシア人のマリア・高橋さん。お子さんのことでご相談があるそうです」

ロシア人と聞き、感電したようなショックがふたりにはしりました。お母さんから、うらみの言葉が飛びだします。

「ロシア人、大きらい! この世から消えてほしい! あいつらがせめてこなければ、私たち一家はバラバラにならなかったし、夫は片足をうしなわずにすんだ!」

 アンナめがけて非難の言葉が飛んできます。おそるおそる先生が用件をきりだします。

「おふたりの悲しみと怒りはよくわかります。でも、ここにいるマリアさんの小学5年生の娘さん、アンナさんというのですが、いじめられて学校に行けないのです」

(エッ、いじめ!)とソーニャの心の奥底がざわめきます。

 アンナのお母さんがウクライナ語で話をはじめます。通訳をしているのでロシア語もウクライナ語もできるのです。それによれば、14年前にロシアから日本にきて貿易商社で通訳の仕事をし、やがて社内の日本人と結婚して東京でアンナが生まれました。福島県のF市に引っこしてきたのは、お父さんの実家があるからです。その後、お父さんは北海道に転勤になり、アンナとお母さんは残り、アンナは市内の学校に通うようになり、いじめを受けたというのです。マリアのお母さんがそのときのことを話します。

「ガキ大将の男の子が、『お前、ロシア人だろう、気持ち悪い!』『日本から出て行け!』と悪口をいうのです。それだけではありません。アンナの机の中にカエルをほおりこんだり、ウンチを置いたりしたのです。アンナはノイローゼで学校へ行けなくなりました」

お母さんは担任の先生に相談してみましたが、「そのうちやみますから」となにもしてくれません。困りはてているとき、地方新聞でソーニャとじゅんくんがお楽しみ会で歌とダンスを演じたという記事を見つけました。

(うちのアンナのことを、ソーニャさんに相談してみよう)とお母さんは、ソーニャがかよっている町の学校をたずね、大野先生にあって悩みをうちあけました。

「そういう事情で、アンナのお母さんをおつれしました」と先生が言い、アンナのお母さんが「娘を助けてください」とソーニャとお母さんに懇願しました。ソーニャは胸がドキドキしました。なにかできるとは思えません。でも、少しでもアンナをはげましたいなとも思いました。しかしソーニャのお母さんがきつい口調でことわります。

「あなたは、殺された人々が路上で、ほおりっぱなしにされているのを見たことがありますか。私は、そのにおいをかぎました。一生、忘れることのできないにおいです。そして先日、私の夫、ソーニャの父親は片足をうしないました。私はロシア人をけっして許しません。だから、あなたの願いもおことわりします」

 けんもほろろにことわられ、アンナのお母さんは、うなだれ、それでも続けます。

「ことわられても、しかたのないことだと思います。でも娘のマリアは小さい時からピアノやバレエを習い、音楽が大すきなのです。それで、バンドゥーラがすきなソーニャさんと仲よくなれると思ったのですが・・・・」

 ソーニャの心がゆれます。しかしソーニャのお母さんはかたい表情をくずしません。それを見てアンナのお母さんが苦しそうに続けます。

「私はロシア人ですが、プーチン大統領を支持しているわけではありません。しかし大きな声で戦争反対とさけぶこともできません。なぜなら私の夫は商社につとめているので、ロシア政府の意向にさからうことはできないのです。でも娘に罪はありません」

 それでもソーニャのお母さんは表情をくずさずピシリといいます。

「今、数千人ものウクライナの子どもたちがロシア領内に拉致(らち)されています。洗脳(せんのう)してウクライナ人どうしをたたかわせようとしているのです。そんなときロシアの子と仲よくできますか?」

  結局、アンナのお母さんはさびしそうに帰ってゆきました。

 そのうしろ姿を見送りながら、お母さんがソーニャに言います。

「やさしくしなければと頭ではわかっているのだけれど、心がどうしてもゆるさないの」

お父さんのことを思えば、ソーニャにはお母さんの気持ちがよくわかります。でも心の奥に、モヤモヤとした気分が残ります。それがなにかはわかりませんが、(ほんとうに、それでいいの?)という声がささやきかけてくるような気がして、おちつかないのです。ソーニャはお父さんに相談してみることにしました。

「で、ソーニャはどうしたいの?」とお父さんがたずねました。

「アンナをなぐさめたい。バンドゥーラとピアノの合奏をやりたい」

 スマホの画面でお父さんがうなずき、自分の考えをのべます。

「ウクライナを苦しめるロシアはたしかに憎い。でもね、この戦争をやっているのはおとなたちだ。こどもに罪はない。アンナがロシア人であろうがなかろうがいじめられていいわけはない。君は学校でじゅんくんを助けたよね。その時のことを考えてみたら」

「死ね!」とののしられ、地面に倒れたじゅんくんのことを思い出しました。カエルやウンチを見て、アンナはどんなにか気持ち悪かったことでしょう。お父さんとはなしたおかげでモヤモヤとした、はっきりしない気分がスッキリしてきました。

「わかった。ママに話してみる」とソーニャは会話をおえました。

 翌日、反対されることを覚悟して、ソーニャは「もう一度考えてみたけど、やっぱり、アンナのところに行ってみたい」とお母さんに自分の気持ちをつたえました。お母さんの反応は意外でした。

「ソーニャがそうしたいなら、そうすればいい。でもお母さんが納得できないのもウソじゃない。だから行けない。大野先生と行ってくれる?」とお母さんは答えました。  


夏に咲くトレニアの花

(6)

一週間後、ソーニャは先生の運転する車に乗り、となりの市のアンナの家をめざします。車のなかはクーラーがついていますが、あせばむほどです。 30分ほどドライブすると、赤レンガ造りの二階家が見えてきました。 玄関わきの花壇には赤や紫のかわいらしいトレニアの花がさいています。玄関先に立つと、ピアノの音が聞こえてきます。

 アンナがひいているのでしょう。 思わず肩にかけているバンドゥーラに手をふれました。

「音楽が好きな子に、悪い子はいないよね」と大野先生がソーニャの肩に手をやります。ドアのチャイムをならすと、アンナのお母さんが出てきて「いらっしゃい」とむかえてくれました。 冷房がビンビンきいていてホッとします。 応接間に通ると、ピアノのかたわらにアンナがはりつめた表情で立っています。長い髪をうしろでポニーテールにした繊細(せんさい)な感じの女の子です。

 お母さんがロシアンクッキーとロシアンティーを出してくれました。

クッキーのおいしさに国籍は関係ありません。おいしくて、ソーニャが思わず「スマーチニー」とウクライナ語でいうと、アンナが「ブクスニー」とロシア語でつづきます。顔を見あわせたふたりは、「お・い・し・い」と、ゆっくり日本語で言い直します。その様子を見て、先生とお母さんが笑います。 これで緊張がほどけました。

お茶がおわると、ソーニャが合奏をしようと提案しました。 アンナもうなずきます。 「何をひく?」とソーニャが言うと、「『百万本のバラ』はどう?」 とアンナが答えます。 ウクライナでもロシアでもヒットしている曲です。

「いいけど、ただ・・・・」とソーニャがいいよどみました。

その様子を見ていたアンナのお母さんが、すばやく察します。

「ロシア語で歌いたくないのね。だったら、歌はなしで、ふたりで合奏をしたら」

お母さんの提案に、アンナもすぐに応じ、バンドゥーラとピアノで演奏します。 でも、もうひとつもりあがりません。「やっぱり歌がほしい」とソーニャが望みました。

「じゃあ、日本語で歌ってみるというのはどう」とお母さんが再び提案してくれました。

スマホでしらべると、いろいろな日本の歌手が『百万本のバラ』を歌っていることがわかりました。 ふたりは、加藤登紀子さんの日本語訳を選んで合唱します。

 

――百万本のバラの花を、あなたにあなたに、 あなたにあげる

 窓から 窓から 見える広場を真っ赤なバラで うめつくして♪

(作詞 ボズネンスキー 作曲ポウルズ)

 

  ストーリーはシンプルです。 貧乏な絵かきが、全財産をはたいて、ありったけのバラを買い、恋する女優にプレゼントします。 女優は広場をうめつくしたバラを見て目をうたがいました。 しかし、どこかのお金持ちの悪ふざけだろうと考え、絵かきのおくりものなどとは、これっぽっちも考えませんでした。 やがて女優は旅立ち、町をはなれます。 そして、花を買いすぎて一文無し(いちもんなし)となった絵かきも、失意のなかで故郷をはなれるのでした。 

ソーニャとアンナの頭のなかは、真っ赤なバラの花であふれます。 天国の花園にいるようです。 ふたりは声をあわせて、片思いのバラードをつややかに歌いあげました。 合奏と合唱が終わると アンナのお母さんが拍手しながらつげます。

「ロシアの人気歌手プガチョワさんがこの歌を大ヒットさせたのは知っている?」

 もちろんと、ソーニャとアンナがうなずきます。

「そのプガチョアさんが、ロシアのウクライナ侵攻に反対してSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス) に戦争反対の意見表明をしたのは知っている?」

「知らない」と二人。

「自分(プガチョワ)はウクライナに、友人や親せきがたくさんいる。その人々のことを考えたら、戦争には、どうしても賛成できない。 戦争反対! と堂々と書いたのよ」

「罰せられなかったの?」とソーニャが心配そうに聞きます。

ロシアでは戦争反対を表明しただけで牢屋にいれられると聞いているからです。

「それがね、いまだに入れられていないの。世論の反発をおそれているのでしょうね」

それをきいて、ふたりは「よかった!」と胸をなでおろしました。

 気持ちがほぐれたアンナが、「私のバレエを見てくれる」と自分から言い出しました。ロシアで人気のある『カリンカ』という曲を、ソーニャがバンドゥーラでかなでます。

「カリンカ、カリンカ、カリンカマヤ♪」とアンナが声をあげながら、軽やかなステップで部屋中を飛びまわります。 カリンカは春には白い花、秋には赤い小さな実をいっぱいつけるガマズミの愛称です。

すぐりの実(ガマズミ)
すぐりの実(ガマズミ)

ふたりは昔の民謡から、SMAPの『世界に一つだけの花』など、つぎつぎと演奏しつづけました。 歌うごとにおどるごとにアンナの顔があかるくなってゆきます。いつのまにか夕暮れがせまっていました。帰りぎわ、「またきてくれるとうれしいな」とアンナが言います。「うん、きっと」とソーニャはVサインをかかげました。

家に帰り、ソーニャはお母さんに今日のことを報告します。

『百万本のバラ』を日本語で歌ったことをつげると、お母さんがうなずいていいます。

「あの歌は、みんなはロシアの歌と思っているけれど、じつはバルト海沿岸にある小さな国ラトビアの詩人が書いた『マリーナのくれたもの』という詩がもとの歌なの」

「ラトビアってどこにあるの?」とソーニャが尋ねます。

「ウクライナの北にベラルーシという国があるけど、その北にある小さな国。バルト海に面してエストニア、ラトビア、リトアニアという三つの小さな国がならんでいる」

「マリーナってだれ?」とソーニャがさらに質問します。

「生命や母をあらわすラトビアの女神の名前よ」
「どんな歌詞なの?」とソーニャ。

 ソーニャのお母さんが、ささやくように歌います。

 

――マリーナ(女神)は娘に、娘に命をくれた。 でも忘れてしまった。たったひとつ、娘の、娘のしあわせを♪

(作曲パウルス、作詞ブリディス)

 

 ソーニャには意味がわかりません。 それにメロディはそっくりですが、歌詞がぜんぜんちがいます。

「どういうこと?」とソーニャがたずねます。 お母さんが答えます。

「ラトビアは、ことあるごとに、ソビエト連邦(ロシア)やナチス・ドイツ、ポーランドやフィンランドなどの大きな国にせめこまれたの。そういったラトビアの人々の苦しみがこの歌のうらにかくされているの」

「女神はラトビアという国をうんでくれたけれど、まわりの国からいじめられて、しあわせじゃなかったんだ。ウクライナと同じだね」とソーニャが受けとめます。 「そうなの」とお母さんがうなずきます。

「原曲の内容がくらいので、ラトビアの作曲家が、まずしい画家のロマンチックなストーリーにかえ、それをモスクワ生まれのプガチョワさんが歌って大ヒットさせたの」  

 説明を聞きながら、ひとつの歌には、さまざまな深い意味や知らない歴史がかくされているのだと、ソーニャは思い知りました。

 

7

長い夏休みがおわり、二学期がはじまりました。元気いっぱい、ソーニャは登校します。クラスで久しぶりにじゅんくんやれい子ちゃんたちと顔をあわせました。みんなはディズニーランドに行ったとか、北海道に行ったとか楽しそうにはなしていますが、れい子ちゃんは浮かない顔です。顔もあまり日焼けしていません。なにかあったのかなとソーニャはあかるく、れい子ちゃんに話しかけます。

「夏休みにF市に行ったの」
「へえー、なにしに?」

「ロシア人のアンナにあったの」

「ウッソー、ロシア人? それって、ウクライナの敵じゃん」

「うん、ママは反対。でもパパが行ってみればと言ってくれた」

「フーン、いいパパだね」

 一瞬、れい子ちゃんの顔がくもりました。そして「うちのパパとママはしょっちゅうケンカばかり。離婚(りこん)するみたい」とうちあけました。落ちこみの原因はわかりましたが、ソーニャは、それにはふれずに続けます。

「いい子だったの。ピアノとバレエがとってもじょうず。ふたりで、いろんな歌を合奏したり、おどったりしたの」

「バレエって、白鳥の湖みたいな、白い衣装とタイツでおどるやつ?」

「うん。でも今回は、そのままで『カリンカ』をおどった」

「そうなんだ」

 おどりが好きなれい子ちゃんは話にひきこまれます。じゅんくんもよってきます。

「どんな曲をやったの?」

「百万本のバラや世界の歌」

「まじ、おもしろそう!俺もやりたい、やりたい」

「みんなで歌ったり、おどったりできたら、すっごく楽しいかも」とれい子ちゃん。

「じゃあ今度、アンナの家に遊びに行くとき、いっしょに行かない?」とソーニャがさそいます。こうして、次回のアンナの家訪問には、じゅんくんとれい子ちゃんも加わることになりました。

ですが、いざその日になると、人見しりのはげしいアンナは、「どんな子たちがくるのかな?」と戦々恐々(せんせんきょうきょう)です。実際、あいさつをかわしたときは、ピリピリと緊張していました。しかし初対面のじゅんくんが、「ぼくのコサック・ダンスを見て」とひょうきんにおどりだしたのを見て笑顔になりました。コサックはウクライナだけでなく、ロシアにもいます。ドン川のほとりのドン・コサックです。アンナもコサックは大すきです。「私もおどる」とダンスをはじめました。それを見て、「私も」とダンスが得意なれい子ちゃんも輪にはいります。ソーニャもはいり、ちょっとバランスは悪いのですがエネルギッシュでゆかいなダンス・ラインができあがりました。こうして4人は大の仲よしになりました。それからは月に一回ほど、アンナの家をたずねるようになりました。仲よくなったアンナに、れい子ちゃんが聞きます。

「どうして学校に行かないの?」

「いじめっ子がいるから」

「名前はなんていうの?ぶっとばしてやる!」とれい子ちゃんがこぶしを振りあげます。

「ぼ、ぼ、暴力はよくない」とじゅんくんが、あわててとめました。

「じゃあ、どうすればいいのよ。このままじゃ、アンナが、かわいそうじゃん」

「それは、そうだけど・・・・・」と、じゅんくんは思案顔です。

 するとソーニャが、いい考えがあると目に力をこめました。

10月にアンナの学校で学芸会があるでしょう。そこに、私たちが出演するの。アンナと私、それにじゅんくんやれい子ちゃんもはいって。私がバンドゥーラをひき、アンナがピアノ、そしてじゅんくんやれい子ちゃんが歌やおどりをする。ロシア人とウクライナ人と日本人が仲よく演奏するのを、みんなに見てもらう。そうすれば、もしかしたら、いじめっ子たちも考えをかえるかも」

 ソーニャのアイデアに、れい子ちゃんがうなずきます。

「お楽しみ会でやったことを、アンナの学校でもう一度やるわけね。あんとき、私は、ソーニャとじゅんが一生懸命(いっしょうけんめい)なのを見て、自分のことを反省した。いいかもしれない」

 それでもアンナは不安顔です。その様子を見てソーニャがいいます。

「私のバンドゥーラは人の心をやさしくする不思議な力をもっているの。それにアンナのピアノとダンスがあれば、だいじょうぶ!」

「ぼくのコサック・ダンスもある」とじゅんくんもはげまします。

みんなの言葉で、アンナの顔に笑顔がもどりました。でもれい子ちゃんが、「ひとつ心配がある。私たちがアンナの学校の学芸会に出演できるかな?」と疑問をだしました。他の学校の生徒が学芸会にでられるのでしょうか。とりあえず、できるかどうか、大野先生に聞いてみよう。話はそれからだということになりました。

 翌日、職員室に行き、アンナの学校の学芸会に出たいと先生にたのみました。先生は首をかしげます。

「他の学校でやるには手続きがいるの。校長先生におたずねしてみる」

数日後、大野先生がソーニャの家にきて残念そうにいいます。

「となりの市の学校のだしものに、うちの学校の生徒が出演するなんて前例がありません。ましてや、いじめの問題もからんでいるなんて、とんでもない。許可できませんと校長先生はね、おっしゃるの」

 ソーニャはがっかりしました。むずかしい理屈(りくつ)はわかりませんが、アンナのためになにかしたいのです。見かねたお母さんが、「私も最初は反対していたのですが、じゅんくんやれい子ちゃんもはいって、いっしょにやりたいということを聞いて、考えをかえました。子どもたちのねがいをぜひ実現させてやりたい。なんとかなりませんか」と先生にたのみました。

 先生はウーンとうなり、考えをめぐらせたうえで、思い切った方法を提案します。

「こうなったら直訴(じきそ)ですね。校長先生に助言、指導するのが教育委員会ですが、直接行ってみてはどうでしょう」。そう言われて、ソーニャのお母さんは、「私の日本語は上手じゃありません。委員会を説得するなんて、とてもできません。先生、手つだってくれますか」としりごみしました。しかし大野先生は、「校長先生をさしおいて、私が教育委員会へ行くなんて、とてもとても」とことわり、話はふりだしにもどりました。

ソーニャが代案をだします。

「アンナのお母さんは通訳で日本語もうまいよ。いっしょに行ってもらったら?」

「エッ、ロシア人と行くの!」とソーニャのお母さんはためらいますが、先生も賛成するので、しぶしぶ承知しました。それから一週間後、ソーニャとアンナのお母さんはつれだって教育委員会の事務局へ出かけました。

出てきたのは、車イスにすわり、メガネをかけた中年の女性です。

「私、教育長の田宮恵子と申します。どんなご用件でしょうか?」

ソーニャのお母さんが、ソーニャとじゅんくん、それにれい子ちゃんと仲間十人をアンナの学校の学芸会に参加させてもらえないかとウクライナ語で話します。それをアンナのお母さんが日本語に訳してつたえます。ふたり分の長い話に耳を傾けていた教育長さんが、はぎれのよい口調で言います。

「わかりました。ご苦労でしたね。文部科学省もウクライナのことは気にかけており、学用品や奨学金など、できるだけの支援をするよう通達も出ています。私も、個人的になにかできないかと、かねてから考えていました。私からとなりの市の教育委員会やアンナさんの学校の校長先生にたのんで学芸会に参加できるように努力してみましょう」。あたたかい答えに、ふたりのお母さんはほっとして顔を見あわせました。 

そして一週間後、教育長さんから、すべてがうまくいったという連絡がありました。

「やったぁ!」とソーニャとアンナ、じゅんくんとれい子ちゃん、そしてお母さんがハイタッチを交わしました。 

8

 秋の学芸会への出演がきまったものの、問題は、なにをやるかです。今日もアンナの家で、全員が集まり、わいわいと相談です。「コサックの歌でいいじゃん」とじゅんくんが、のんきに言います。「ウーン、もうちょっと、世界中のだれもが知っているような歌がないかな」とれい子ちゃんが頭をひねります。

 ソーニャの頭に、『Where have all the flowers gone? 』(花はどこへ行った?)という曲が浮かびました。1970年代にベトナム反戦運動の広がりのなかでアメリカのピーター、ポール&マリーというフォークソングの3人組が世界中にヒットさせた曲です。お母さんがCDで流しているのでソーニャもおぼえていたのです。

「『Where have all the flowers gone?』という歌はどう」とソーニャが提案します。

「でも、それって古すぎて、だれも知らないんじゃない?」

このれい子ちゃんの疑問に、アンナのお母さんがいいかえします。

「たしかに古い。あのときは、アメリカという大国がベトナムを侵略し、たくさんの兵隊や市民の人が死んだ。それから50年以上。今度はロシアがウクライナにせめこんでいる。だからこそ今、歌う意味があるのかも」

「ウーン、どうかな。でも、聞いてみようか?」とじゅんくんがうながします。ソーニャが英語で歌いはじめます。

 

――Where have all the flowers gone, long time passing?

 Where have all the flowers gone, long time ago?

 Where have all the flowers gone? ・・・・・・・。
           (作詞・作曲ピート・シーガー&ジョー・ヒッカーソン)

 

そして最後は、「Oh, when will they ever learn?」というフレイズのくり返しでエンディングです。ソーニャが歌いおわると、じゅんくんが不満そうに言います。

「メロディはきれいだけど、英語のなかみがチンプンカン」

 れい子ちゃんも「学校で英語をならっているけど、ぜんぜん、わかんない」と同調します。アンナのお母さんが、「うまくできるかわからないけれど、日本語にしてみようか」と言ってくれました。日本語訳は次のようです。

 

――時はすぎゆき、遠い昔のこと、咲いていた花がぜんぶなくなってしまった。

花はいったい、どこへ行ってしまったのでしょう?

若い娘たちが花をぜんぶつんでしまったのです。

 

  時はすぎゆき、遠い昔のこと、娘たちがいなくなってしまった。

娘たちはいったい、どこへ行ってしまったのでしょう?

娘たちはみんな、夫(若者)のところへおよめさんに行きました。

 

時はすぎゆき、遠い昔、夫(若者)たちがいなくなってしまった。

結婚した夫(若者)は、どこへ行ってしまったのでしょう?

みんな兵隊さんになりました。

 

時はすぎゆき、遠い昔、兵隊さんがみんな、いなくなってしまった。

兵隊さんは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう?

戦争に行き、みんな死んでお墓に入りました。

 

時はすぎゆき、遠い昔、お墓はどこかへ行ってしまった。

死者がうめられたお墓は、いったいどうなったのでしょう?

たくさんの花が咲き、おおいかぶさり、お墓は見えなくなってしまいました。

 

人間はいつになったら、このめぐりあわせを学ぶのでしょう。

人間はいつになったら、このおしえを自分のものにできるのでしょう♪

 

地面をおおう野の花
地面をおおう野の花

 お母さんが書いてくれた訳を、れい子ちゃんが読みあげ、みんなで耳をかたむけます。なんども聞いたあと、じゅんくんが素朴(そぼく)な疑問をだします。

「お墓が見えなくなるほど花が咲くなんて、ほんとにあるの。日本の古いお墓で、コケがはえているのを見たことあるけど、花でかくれちゃうなんて信じられない」

ソーニャがウクライナの墓の話をします。

「ウクライナの墓は土でおおうから100年たてば花がいっぱいかも」

さらにれい子ちゃんが、「花は生きること、墓は死ぬことなんじゃない? 死んだ者がよみがえると言いたいのかもね」とおとなっぽい解説をほどこしました。

「よみがえってくるの?ゾンビーみたい」とじゅんくんがチャチャをいれます。

「この歌は、いつの時も、男の子は戦争が好き、女の子は花が好きってことを言いたいんじゃないかな?」とアンナが女の子らしい感想をのべます。

「たしかに兵隊さんのほとんどは男の人だものね。ウクライナでは、兵隊になり国を離れられないのは男の人で、国の外に行けるのは、私たちみたいに女の人だけだよ」

 これに「それって男女平等じゃない、差別だ!」とじゅんくんがかみつきます。

 いろんな意見が飛びだしましたが、お母さんがまとめるようにいいます。

21世紀に、こんなに悲惨(ひさん)な戦争がおきるなんて誰も考えていなかった。だからこそ、この歌がよみがえってきたのかも。古くても新しいものって、あるのよ」

ソーニャが、いちだんと目に力をこめていいます。

「私のウクライナでは、今、この瞬間も、戦争で多くの人が傷つき死んでいる。音楽や歌が戦争をとめられるかはわからない。でも、でも、私はこの歌を歌いたい!」

 ソーニャのせつなく強い気持ちに、みんなが深くうなずきます。

こうして学芸会の歌は、全員一致で『花はどこへ行った?』に決まりました。家に帰ったソーニャは、そのことをお母さんに報告します。いきさつを聞いたお母さんの顔がいっきにほころびます。

「そうなの。じつは、あの歌はコサックの古い歌からきているの」

「ほんとに?」とソーニャがびっくりします。

「アメリカ人のピート・シーガーというフォーク歌手の曲なんだけれど、なんでこの歌をつくったかといえば、ロシア人作家・ショーロホフの『静かなドン』という小説に出てくるコサックの民謡をヒントにしているの」

「そのコサックはウクライナ、それともロシアのコサック?」

「どちらのコサックか、いろんな意見があるの。でも私はウクライナと信じてる」

「歌詞はどんななの?」

「はっきりしないけど、葦(あし)の葉はどこへいった? 少女たちがすべて刈りとった。少女たちはどこへいったの? およめに行った。どんな男と結ばれたの? ドン川のコサックと結婚した、という感じ?」

「フーン、元の曲では葦の葉だったのが、花にかわったんだ」

もうひとつ気になることがあると、お母さんにたずねます。

「ウクライナの女の子が、ロシアのドン川のコサックの男の子と結婚したということ?」

「コサックの世界に国境はないの。双方を自由に往来していた男女が結婚することは、よくあったみたい」

行きたいところへ行く、コサックのたくましさにはあらためて感心させられます。

それからは毎日、ソーニャの家とアンナの家、そして学校の体育館をかりての猛練習が続きました。 

ウクライナ原産のクリスマスローズ
ウクライナ原産のクリスマスローズ

9

どこまでも高く、秋空が広がっています。いよいよ学芸会の日です。

アンナの学校の体育館は満員で、校長先生があいさつをします。

「待ちに待った学芸会の日です。保護者の皆さんも大勢、いらっしゃっています。歌、おどり、劇など、日ごろの学習の成果をせいいっぱいお見せしましょう。そして今回はとくに、となり町からのお友達も参加します。期待いたしましょう」

1年生から6年生までの多彩なだしものがおわると、いよいよソーニャたちの番です。舞台の左にソーニャがバンドゥーラをかかえ、右にはアンナがピアノの前にすわります。

アンナを見て「あの子、不登校なんだよ」「なにしにきたの?」という声が起こります。

それをたち切るようにれい子ちゃんが登場し、あいさつします。

「私たちはとなり町からやってきました。この学校の5年生のアンナの友だちです。いつも仲よく、歌ったりおどったりしています。今日は、『花はどこへ行った?』という曲を聞いてもらいたいとやってきました。悲しいことに、今、ウクライナでは戦争が行われています。舞台左側のソーニャはウクライナからやってきました」

 ここまでしゃべったれい子ちゃんは、急に言葉をつまらせました。目には涙がうかんでいます。みんなは、なにが起こったのだろうとれい子ちゃんを見つめます。

「私は、遠い国からきたソーニャと障害のあるじゅんくんに、いっぱい、いっぱい、いじわるをしました。でもそんな私を、ソーニャは、あのバンドゥーラという楽器をひいて、やさしく、いじめをやめるように教えてくれました」

れい子ちゃんは、自分やじゅんくんがアンナと仲よしになったいきさつをつたえます。

「アンナは、みなさんの学校にかよっているので知っていると思います。お父さんは日本人で、お母さんはロシア人です。今、ウクライナとロシアは戦争をしています。でもたたかっているのは大人たちです。子どもまで憎みあうことはありません。ソーニャとアンナは大の仲よしになりました。今日はそのことを歌とおどりでお見せします。『ウクライナの花はどこへ行った』です!」

 ソーニャがバンドゥーラをひくと、じゅんくんが「Where have all the flowers gone・・・・」と英語でうたいはじめます。舞台に、英語の歌詞が書かれたプラカードをもった日本の女の子があらわれました。つづいてソーニャが「Кудиподілися всі  квіти・・」とウクライナ語でうたいます。同時にウクライナ語のプラカードをもった女の子が登場します。次にアンナが「Куда делись все цветы・・」とロシア語でうたい、ロシア語のプラカードがあらわれます。

 それがおわると、アップテンポのメロディが流れてコサック姿のじゅんくんが登場します。コサック・ダンスです。そのダンスにアンナがくわわり、ふたりはならんで、足をたくみにけりだします。どうやらアンナは、じゅんくんよりうまく、会場からいっせいに拍手が起こります。さらにウクライナの花柄の民族衣装をまとったれい子ちゃんたちのグループが登場し、輪になっておどります。最後は全員の大合唱です。 

 

――花はいったい、どこへ行ってしまったのでしょう?

 時はすぎゆき、遠い昔、お墓はどこかへ行ってしまった。

 死者が埋葬されたお墓は、いったいどうなったのでしょう?

 たくさんの花が咲き、お墓をおおってしまいました。 

 いつになったら、このめぐりあわせを学ぶことができるのでしょう?

 いつになったら、このおしえを自分のものにできるのでしょう♪

 

 いつのまにか、舞台と会場の大、大合唱になりました。おわると、再びシーンとなり、舞台にはソーニャとアンナだけが残ります。ソーニャのバンドゥーラ、アンナのピアノの優美な音がまじわります。誰もがやさしい気持ちになり、すがすがしい気分が会場いっぱいに広がります。ソーニャとアンナのお母さんも目に涙を浮かべています。舞台かられい子ちゃんが観客席によびかけます。

「私たちは、この歌とおどりを、英語とウクライナ語とロシア語と日本語で、みなさんにお送りしました。言葉や国のちがいこえて、世界の人々は仲よくできるということを、どうしても見せたかったからです。憎しみやいじめをやめて、しっかりと手と手をつなぎあいましょう。その日のくることを、ほんとうに、ほんとうに願っています」

 大きな拍手がわき起こりました、ブラボーという声も聞こえます。学芸会は大成功のうちに終了しました。

 

これで、ソーニャとアンナ、じゅんくんとれい子ちゃんの物語はおしまいです。 

――アンナへのいじめは、なくなるでしょうか?

――ソーニャとお母さんはウクライナで、お父さんといっしょに暮らせるでしょうか?
――戦争はおわり、ウクライナに平和がおとずれるでしょうか?

――人間は、このあらたな21世紀の試練をしっかりと受けとめられるのでしょうか?

 

答はだれにもわかりません。でもひとつだけたしかなことがあります。みんなが力をあわせればできないことはないということです。今、ソーニャには夢があります。いつの日か小麦がみのり、ひまわりの花が咲きみだれるウクライナの大地で、アンナやじゅんくん、れい子ちゃんたちと歌ったりおどったりして「モルコヴニツェ(ウクライナのキャロットケーキ)」をお腹いっぱい食べることです。

(夢はかなう、いつかできる)とソーニャはかたく、かたく信じています。 

                                                                                                 ――おわり――    

風に揺れる麦畑
風に揺れる麦畑

 

二つのお願い 

 長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。お願いが二つあります。ひとつは、感想やご意見をお寄せいただきたいことです。短くても長くても、作者への注文でも何でも結構です。本文の最初にあるメニューボタン(三本線のアイコン)を押してください。「このホームページをつくったわけ」「作者のプロフィール」「感想・掲示板」「連絡先」があります。感想・掲示板からご意見をお寄せください。すでに投稿されているものも見ることができます。お名前は本名でも仮名でも、名前のみ、愛称のみでも結構です。載せたくない場合は、連絡先フォームを使って、著者に連絡することもできます。二つ目は、このホームページを他の方に紹介いただきたいことです。著者の願いは、一人でも多くの方に読んでいただき、ウクライナのことをもっと多くの方に知っていただきたいことです。このホームページのURL(ホームページ・アドレス)はhttps://224ukr.jimdofree.comです。パソコンでもスマホでも閲覧可能です。どうぞ、ご協力ください。

 

 メニュー欄に「戦火を生きのびてーー沖縄からフィリピンへ移民した母と娘の手記」「国境をこえる人々のつながりこそ――パレスチナとイスラエルの戦争に想う」を追加しました。