国境をこえる人々のつながりこそ――パレスチナとイスラエルの戦争に想う

 

 残虐非道、そして世界を困惑させる戦争が起こっています。

 ガザ地区のハマスとイスラエルの戦争です。イスラエルの攻撃により、1110日の時点で、パレスチナ側に約1万1000人の死者(そのうち子どもが4500人、ガザ保健省発表)、イスラエル側に1200人の死者出ています。電気、水道が断たれ、犠牲者は一般人だけでなく、ガザ地区の病院では治療室の赤ん坊の命が危うくなっています。

 事態はこんがらがり、出口がまるで見えません。ウクライナではロシアの非人道的な侵略を非難したバイデン大統領のアメリカが、イスラエルを公然と支持し、それを、ハマスを支持するプーチン大統領のロシアが「非人道的」として非難し、即時停戦を求める決議案を安保理に提案し、アメリカが拒否権を発動しています。まさにウクライナ侵略と真逆な事態が起きているのです。

 唯一の救いは、あまりのイスラエルの残虐さに世界中で「即時停戦」を求める民衆のデモが起こり、大きなうねりとなっていることです。バイデン大統領も一時停戦に動かざるを得なくなりました、このことは、戦争をやめさせる力は、政治家や軍人たちにではなく、市民や子どもたちの命を、心の底から憂うる世界の人々の連帯の動きにしかないことをあらためて示しています。『ウクライナの花はどこへ行った?』の物語が示しているように、世界の未来は、国境を越えて人々が手を結び合うことなしにありえません。もちろん、言うはやすく行うはかたしです。移民や難民問題をきっかけに、世界は大きく二つに分断されるようになりました。一国優先主義(自国中心主義)か国際連帯主義か、国境を守るか国境をこえて結びつくかです。誰しも、自分の命や生活を守ることが第一です。なかなか他人のことまでも思いが及びません。だから自国主義(一国主義)が世界的に優勢になるのも理解できます。しかしながら、自分の国さえよければという利己主義を極端に推し進めれば、必ず衝突が起こります。どんなに困難でも、国境を越え、手を結ぶことにしか未来はないのです。

 日本は、その昔、中国、朝鮮、ロシア、アメリカと戦争を行いました。そして今、政治的にはアメリカと友好関係を結んでいますが、中国、韓国、北朝鮮、ロシアとはいまだにギクシャクした関係を続けています。友好の絆は、国境をこえた民衆や市民同士の交流がなければ、ほんものにはなりません。

 このコーナーでは、その小さな実例を求めてゆきます。

 

 ●つながり1  ウクライナと日本の音楽家が同じ舞台で共演 

 

 2023年1110日、香川県さぬき市で「バンドゥーラの調(しらべ)を聴く会」が開かれました。その様子を、香川在住のMIHOさんが以下のように報告してくれました。 

 

 『ウクライナの花はどこへ行った?』に登場するウクライナの民族楽器、バンドウ―ラはどんな音色を奏でるのだろう? 一度聴いてみたいと思っていたら、さぬき市の音楽ホールでウクライナの音楽家によるコンサートがあるという。四国へは初めての来訪らしい。早速、当日、会場へ駆けつけた。 

 はじめに、平和を願う市長の挨拶があり、続いて、和服姿の人が数人登場、舞台には琴が置かれている。長唄、琴、三味線などの邦楽が演奏され、続いて地元の声楽家(ソプラノ、バリトン)、コーラスグループによるミュージカルやポピュラーな歌曲が披露された。男性二人以外のメンバーは色とりどりのドレス、ほとんどは振袖の着物をリメイクしたらしいロングドレス姿で、なんともあでやかな雰囲気。そして最後に、メインゲストのカテリーナさんがバンドウ―ラを抱えて登場した。 

 黒に赤の刺繍の民族衣装、抱えたバンドウーラはギターよりひと廻り大きく、やや角張った形をしている。ソーニャの挿絵では丸みを帯びた形だったが、これは厚みはなく平たい。8キロくらいあるというから10キロの米袋程か。65本の絃が盤面いっぱいに張られている。その大きさと重さを抱えて、両手の指全部の爪を使って弦をはじいたりボロロンとなでたりする。チェロやバイオリンのように楽器を支える手で絃を抑えて音程の変化を作り、弓を持つもう一方の手で曲を奏でる方式ではないらしい。その上、歌を唄うから相当の体力が必要だと思われる。

  バンドウーラの音はかわいらしく繊細な感じでハープシコードとかチター、アイリッシュハープ、バラライカなどの音色に似ているかもしれない。考えてみれば、太鼓のような打楽器と同様、弦楽器も形や大きさを変え、素材を進化させ世界中に広がっている。人類の進化のように、そのルーツをたどれば皆兄弟なのだろうが、人間の利害対立と戦いは今日までずっと繰り返され続けている。私は楽器にも奏法にも詳しくないけれど、中世の吟遊詩人がボロロンと奏でながら詩を吟ずるイメージが浮かんだ。

  曲目はウクライナの民謡、古謡に始まり彼女が大好きだという「翼をください」、そして最後は会場の聴衆もいっしょに「ふるさと」の大合唱で締めくくられた。ウクライナ語歌詞の意味は分からなかったが彼女の透き通った美しい声が響き渡ると、青空に白い鳥が飛んでいく景色が浮かぶ。

  バンドウーラの響きは風の音やきらきら光る水のよう。哀しい美しさに会場の空気が張り詰め、涙ぐみそうになった。祖国が戦火の中にある今でなければ、もっと明るく楽しく聞こえてくるに違いない。 

 唄の伴奏楽器としてではなく、独奏楽器としての曲目もあるなら、ぜひ聞いてみたい 

 カテリーナさんの明るく美しい唄が聞こえてくる日が一日も早く来ますように!   By MIHO 

 

 ●つながり2 日本と韓国、国境をこえる若者たち

 

 今から!18年ほど前に、『嫌韓流』というマンガが発行され、話題を呼んだことがあります。

  私の手元にある『嫌韓流2』のカバーには「信じられないほど腐りきった国。それが韓国だ!!!」という言葉が躍り、内容は「竹島」問題など刺激的な言葉が並んでいます。数十万部のベストセラーと豪語し、おもに20代の若者と60代以上の年配者に受けたようです。

 このマンガの影響かどうかはわかりませんが、その頃、60代の友人Nくんが、突然、「嫌韓論者」になりました。メールで、「品性、品格のかけらもない国、国家間の最低のルールを守れないルーズな国」「礼節、節度を欠いた、何かの権威を借りないと威張れない、異常な国」「卑怯、卑劣な国民」と韓国をののしり、あげくは「日本の整形はプチ整形だが、韓国のそれは顔の原型をとどめぬほど節操のない整形」とけなしまくるのです。

 私はあっけにとられました。彼とは高校、大学が一緒で、性格をよく知っていますが、おとなしく、地味で、まったくの非政治的人間だったからです。大学紛争で学内が荒れ狂ったときにも、終始一貫ノンポリで政治的発言など聞いたこともなかったからです。

 Nくんの極端な主張にへきえきとした私は、猛烈に反論しました。しかし彼も一歩も譲りません。反論の反論が繰り返され、半年間あまりもメールのやり取りがあり、あげくの果ては、絶交の事態となりました。

 かくて論争は終わりましたがを迎えましたが、何が彼を変えたのかが、ずっと気になっていました。当時(今もですが)、領土問題(日本にとっては竹島、韓国にとっては独島)や従軍慰安婦問題で両国はもめていました。とりわけ韓国では、反日運動が世代をこえて広がり、日本製品のボイコット運動にまで広がりました。当然、こうした動きに、「日本は謝っており、補償も、したではないか、それなのに、韓国は際限なく要求をエスカレートさせている」という反発の声が、日本のあちこちに広がりました。Nくんは嫌韓になったきっかけに次の三つをあげています。①韓国で慰安婦像を日本大使館前に設置したこと②李明博大統領が竹島に上陸し、天皇に謝罪要求をしたこと③慰安婦問題で日本が謝罪するようアメリカのニューヨークのタイムズスクエアに巨大な広告を掲げたこと。

 おそらくこうした反日行動の積み重ねが、Nくんの心の奥底に眠っていた大和魂を目覚めさせたのでしょう。これ以上、日本を侮辱する韓国をのさばらせてはならない。定年後、Nくんは、「勝手通信」なる名前の嫌韓通信を、まわりの人に送りつけます。その一通が私へ送られてきたというわけです。

 日本と韓国の間は、長い間ぎくしゃくしています。「言論NPO」による2020年の日韓共同世論調査によると、日本人の約46パーセントが韓国に悪印象をもっていると答えています。一方、韓国人は約72パーセントが日本人に良くない印象をもっていると答えています。韓国人の大半の人は日本を信用していないといってよいでしょう。

この傾向は戦後から今に至るまで続いていますが、しかし近年、この傾向が大きく変わる兆しが表れています。そのことを2023316日の朝日新聞が、「日韓、通い合う若者」というタイトルの記事で伝えている。それによれば、韓国に留学したいという日本の若者が増えているそうです。また2000年に韓国語コースを設けた関東国際高校では初年度の生徒が7人だったが、現在は1クラス40人が学んでいます。大惨事となった梨泰院の雑踏事故で死亡した日本人の10代と20代の女性は韓国で韓国語を勉強していました。

では、韓国の若者はどうでしょう。韓国では日本アニメの「すずめの戸締り」や「スラムダンク」が人気で、日本への旅行熱も盛んだそうです。東京お台場のガンダム像前で写真をとっていた23歳の韓国人女子大生は「祖父は日本をよくないと思っている。でも、私は歴史や政治とは別に、日本文化を尊敬している」と語っています。

これでわかるように、最近の日韓の若者たちは、互いに国境をこえ、政治の世界よりはるかに早く互いの理解を深め合っているのです。 

こうした民間交流の広がりこそ、未来を切り開いていく力となるのではないでしょうか。

 

●つながり3 中華の手料理を教わることから、中国人の母の心がやわらいだ

 

数年前、コロナがはやる前ですが、妻と二人で北海道旅行をしたことがありました。北海道の自然の大きさに酔いしれたのですが、驚いたのは、どこは行っても中国と韓国からの旅行客が多かったことです。彼らは、大声で自国語をしゃべっているので、すぐわかります。地元にお金を落としてくれるので、地元の人々は大歓迎ですが、いい評判ばかりではありません。美瑛では、入ってはいけない畑に、ずかずかと入りこみ写真をとったりで農家の人からひんしゅくを買ったりしている話も聞きました。プラス、マイナス両面があるのでしょうが、両国の人々の相互理解は少しずつ進んでいるようにも思えます。

とはいえ、ここ数年の日中の両国関係は、尖閣諸島をめぐる領海侵犯問題、香港での民主派の弾圧や投獄、コロナをめぐる強権的な予防対策、福島原発の汚染水の放出をめぐる日本産海産物の輸入禁止などをめぐって、最悪と言ってよいほど冷え込んでいます。

2021年にNHKが行った日中共同調査によれば、中国によくない印象を持っている人は91パーセント、日本によくない印象を持っている中国人は66パーセントという結果が出ています。中国では、年配者ほど日本に悪印象をもっている人が多いといえましょう。日本は8年間にわたり中国を侵略し、中国人の死者の数は数百万、数千万ともいわれています。ほとんどの年配者には、自分の家族、親戚、知人に戦争の犠牲者がいるのですから、日本人をよく思わないのも、無理からぬと思われます。

しかし韓国同様、戦争経験が直接ない若い中国人の間で、日本に好感を抱く人が増えているようです。そのことは、2022年の「中国人の日本語作文コンクール」で一等賞を獲得した周美形さん(20歳・広東理工学院日本語学部3年)の作文を見てもわかります。

周さんは、かねてから日本留学の夢をもっていました。しかし、それを語った時、日本嫌いのお母さんから、「日本に行くなら、もう帰ってこなくていい」と宣告されてしまいました。周さんはショックを受けましたが、夢を捨てません。ある日、ネットでつながる日本の友人が、周さんのお母さんの中華の手料理をほめ、「教えてほしい」と頼みこみました。お母さんは最初はいい顔をしませんでしたが、熱心にたのまれ、次第に、中華料理を日本の友人に教えるようになりました。このネットのやり取りから、周さんのお母さんの日本嫌いが次第にやわらいでいったそうです。

その体験を周さんは日本語作文に書き、一等賞になったのです。周さんは、日本の大学院に進み、ジャーナリストになり、ほんとうの日本の姿を中国の人に伝えたいという希望をもっており、今ではお母さんも賛成してくれています。むずかしい政治論議ではなく、料理を教えることから、ささやかな、しかし心のこもった日中交流が生まれたのです。

 

 

つながり4

「今やお客というより友達」川口市の青果店主A子さん

 

昔とくらべて今の時代は、大勢の外国人が日本を訪れます。外国人観光客の数は昨年度で2500万人をこえているし、日本国内で働く外国人労働者の数は200万人と急速に伸びています。

そのせいでしょうか、どこの街でも、外国人を見かけることが多くなりました。

 とはいえ、これらの人々と日本人が交流を重ねることは、あまり多くありません。生活習慣や文化が大きく異なっていることが両者を隔てる大きな壁となっています。例えば、私の住む横浜のニュータウンでも、頭にスカーフをつけた女性をよく見かけるようになっています。イスラム教の教えで、女性は髪の毛や肌を見せないという習慣があるので、すぐにイスラム教徒とわかります。けれども寒い季節はともかく、暑い夏にスカーフ姿の女性を見ると、日本人である私は、こんなに暑いのにどうしてスカーフをしなければならないのかと疑問を抱いてしまいます。さらに、イランではスカーフをかぶっていないだけで逮捕されたり、アフガニスタンでは女性が学校へ通うことが認められていないというニュースを聞いたりすると、イスラム教って好きになれないなと思ってしまいます。

 ではありますが、そんな偏見を克服して、仲良く付き合っている日本人もいないわけではありません。埼玉県の川口市でお店を営むA子さんもその一人です。

 私の記憶では、今から60年ほど前、川口市は鋳物工場の煙突が林立する労働者街というイメージが濃厚でした。当時、若き日の吉永小百合さん(78歳の今も美しい!)が主演する『キューポラのある町』という映画が大ヒットしました。キューポラとは鋳物を焼く溶解炉のことで、その工場で働く父親(東野栄次郎)がクビになり、小百合演ずる少女がアルバイトをしながら高校進学をめざすという物語でした。北朝鮮系の少年も登場し、貧困と差別に対し明るく生きる少年少女の姿を描き、当時大学生だった私は感動したことを覚えています。そして、今、川口市は人口の6パーセントが外国人で、日本一の多国籍タウンとして知られています。

この街にA子さんが経営する「マートコバヤシ」という小さな青果店があります。

A子さんは、この店を父から受け継ぎましたが、近隣の大手スーパーにおされ、経営が苦しくなっていました。そんな折、スカーフをかぶった女性が店にやってくるようになりました。言葉も好みもわかりませんが、お客を選んではいられません。勇気を奮い起こして話しかけました。片言ながら、彼らがベトナム系、中国系などの外国人で、いちばん多いのはトルコからきたクルド人らしいということがわかりました。どうやら、彼らは日常の食事に使うトマトやパプリカ、赤キャベツ、パセリなどを買いにきたようです。

A子さんはまず、お客さんの名前を覚えることにしました。買ってくれたお客さんには「テシュケルエルデム」(ありがとう)と言うように心がけました。すると早朝、開店準備をしている陽子さんにクルドの女性が「ギュナイドゥン」(おはよう)と言ってくれるようになったのです。

今では「今日は○○が安いよ」「これはおいしいよ」と会話を交わすまでになっています。ラインでつながり、あれこれ、おしゃべりも頻繁に交わします。やけどをした女性には「やけどの薬をください」と紙に書き、「これを薬局にもっていって見せて、薬をもらいな」とアドバイスしたりと、ずいぶん仲良くなりました。

もちろん、いいことばかりではありません。彼らの中には、近所迷惑を考えず、大声でしゃべったり、そろえた品物をぐちゃぐちゃにしたりする人もいます。仲間同士の言い争いも目にしました。でも、日本人のお客だって、いい人も悪い人もいるじゃないとA子さんは考えます。

「今やお客さんというより、友達ですかね」とA子さんは、10年以上の付き合いを振り返ります。ふだんの暮らしの中で、自然と交流がはぐくまれていったのです。

多国籍タウンにすばらしい花が咲きました!

 

(この原稿は、2023年朝日新聞のGLOBEの記事をもとに構成しました)